青写真

 なぜ雨が降らない日が続くのだろう、と恨めしくすっきりと晴れた青空を見上げる。

 朝から気温はグングン上昇して、午前11時現在で気温は31℃らしい。暑い、と思わず漏らした声は、むなしくも騒がしいセミの鳴き声にかき消された。

 じんわりと背中につたった汗を、不快に感じる。シャツをパタパタと仰ぐも、まるで意味をなさなかった。


 そもそもなぜ、夏休みだというのに学校に来ているのか。その答えは簡単なことで、7月に入ってまわってきた掃除当番を1週間サボったからだ。さらに、休み前に組まれた三者面談に行かなかったことも、担任を怒らせる原因となったのかもしれない。

 終業式が終わり、しれっと帰ろうとしたところ、呼び止められて告げられた。「黒羽おまえ、夏休み10日間、中庭の水やりな」、と。


 散水用のホースリースを伸ばし、蛇口をひねる。さすがに日を重ねれば段々と手つきが慣れて、作業効率が上がってきた。

 マメな性格上、どうすれば目の前の花々が綺麗に育つか、それなりに工夫を重ねたつもりだ。このヒマワリたちは、自分が開花させたと言っても過言ではない。背が伸びた‘太陽の花’の一つ一つを、誇らしげに見上げてみた。花びらの濃い黄色が、葉の緑が、青い空、白い雲に映えている。

 ――ああ、とても夏らしい。……が、夏休み中の、このように人気の少ない中庭に、誰が注目してくれているのだろうか。

 せめて渡り廊下で練習している、吹奏楽部の女の子たちの目にちょっとでも留まってくれていたら嬉しい。とても嬉しい。それで声なんかかけてもらえたら。…クラクラする。暑い。

 頭がボーっとし、そろそろ作業を終えようと思った、その瞬間だった。


「 快斗ー? 」


 一気に現実に引き戻された感覚に陥った。その間抜けな声の主は分かっているけれど、恐る恐る振り返ってみる。――ああ、やっぱり。

 職員室前の廊下から窓を開け、声をかけてきたのは、幼馴染の中森青子だった。


「 なにしてんのよー! 」

「 見りゃ分かんだろ、水やり! 」


 中庭から校舎までは割りと距離があり、自然と大きな声が出る。別に怒っているわけではないのだが、思わず語気も強まった。


「 なんで快斗がー?なんかしたのー? 」

「 うるせーな!なんもしてねーよ! 」


 夏休みに入って、青子は大学進学のための受験勉強を本格的に始めるんだ、と言っていた。今日学校に来ているのも、おそらくそのためだろう。将来は公務員になるつもりらしい。青子は根が真面目だから、似合っているのかもしれない。


「 どーせこないだ三者面談しなかったの、怒られたんでしょー! 」

「 ちげーよ!…そうだけど!あれはそんな、怒られてねーよ! 」


 確かにちょっとは怒られたけど。母親は海外に渡っていて不在だったのだ。その旨はきちんと伝えた。


「 ねー!どーするのー?先生心配してたよー! 」

「 はー? 」

「 進路よ―! 」


 射程圏内であれば、口うるさい青子に向かって水をかけていたかもしれない。一度はホースを向けてみるも、やはり届きそうにはなかった。大人しく水を止め、ホースを巻き取る。

 ――さよなら今日のひまわりさん。明日も水やりに来ます。

 それにしてもジリジリと日差しが照って暑い。体育館から響いてくるバスケットボール部のかけ声を聞きながら、よくこんな日に練習をやるもんだ、と感心した。


「 快斗ー? 」

「 帰る 」

「 え、待って、青子も一緒に帰る! 」


*


 2人で帰宅するなんて久しぶりだ。自分の隣を歩く青子との間にできた距離が、それを一番証明しているようだった。

 視界の端で、彼女の肩下まで伸びている少し茶色っぽくも見える髪が、リズムよく風にのっているのが見える。それはどこか涼しげで、暑さを感じていないのではないかと思うほどだった。

 そんなオレの思いとは裏腹に青子は、暑いね、なんて分かりきったことを口にした。その言葉に、どこかよそよそしい空気を感じずにはいられなかった。


「 それで、どうするの?快斗は 」

「 3年になって顔を合わせりゃそればっかりだな、青子は 」

「 だって、気になるもん!――進学しないの? 」

「 どーすっかなーオレ。プロのマジシャンにでもなるかなー 」


 ――あ、やべ、黙っちゃった。

 沈黙と痛いほど突き刺さる視線に耐え切れなくなり、冗談だよ、と返したと同時に、青子が口を開いた。


「 なれるよ!快斗なら!きっと世界一のマジシャンになれる! 」

「 ――だから、別に、…冗談だって 」


 幼なじみである青子のその言葉が、嬉しくないはずがない。自分の得意としているはずのポーカーフェイスは情けなく崩されてしまったし、口ごもった返答しかできなかった。

 青子の上を向く純粋な目が、口に手をあてて何かを思案している仕草が、自分に向けられるには眩しすぎると思った。


「 マジシャンかあー 」

「 しつけーな、冗談だっつってんだろ? 」

「 もう、冗談、冗談ってね、青子は真剣に考えてるのよ!快斗も大事な時期なんだから、真剣に考えなさいよ! 」

「 るせーな、余計なお世話だよ! 」


 言ってすぐ、ちょっとキツかったかも、と思った。一瞬ポカンとしてこちらを見た青子の表情は、だんだんと曇っていった。なによ、と小さく呟く。

 それでも後には引けなかった。ごめん、と、聞こえるか聞こえないか分からないくらいの大きさの声で返す。立ちすくんだままの青子を置いて、自分はスタスタと歩を早めた。面目がなかった。


 何をやっているのだろうか。将来なんてまだ分からないなんて言って何もしないのでは、ただの子供だ。いつまでたっても‘キッド’だ。


「 待ってよ快斗!まだ聞きたいことがあるの!――最近、夜に出歩いてるって本当?ずっと噂になってるよ! 」


 青子は昔から変わらず、真面目で正義感が強い。こんなただの幼なじみ、放っておけばいいのに。

 無意識のうちに、さらに早足になる。さっきまで額に浮かんでいた汗は、頬をつたって流れ落ちた。


「 ねえ快斗!待って!――何かやりたいことでもあるの?ねえ、何か欲しいものでもあるの?……快斗ってば! 」

「 じゃあアイス 」

「 ――へ? 」

「 アイス食べたい 」

「 ちが、そうじゃなくって! 」


 さっきまで後ろのほうから聞こえてきた青子の声が、近くなってきた。早足のオレに追いついてきた歩幅は、青子にとっては大きくて、少し息が荒くなっているようだ。

 待って、と青子はオレの腕をつかんだ。オレは咄嗟に逆手をとって、青子の細い腕をつかんだ。自分より強い力でつかまれた腕は、鈍い痛みを感じたのかもしれない。少し歪んだ表情になった青子にかまわず、オレはその視線を真っ直ぐ捉えて言った。


「 ――オレさ、青子が欲しいんだけど 」

「 はぁ?何言って……ちょ、快斗、…離して 」

「 黙って 」


 腕をつかむ力は、その気になればすぐ振りほどける程度にまで弱めた。本気で抵抗すれば、この状況から逃れられるはず。

 しかし青子はそれをせず、オレの目を見たまま言われたとおり黙っている。


 2人の間の距離が徐々に縮まってきた。汗で少し濡れた前髪が、首元から香る制汗剤が、風で揺れるセーラー服のリボンが、自分の中の汚れた感情を掻き立てる要素に変わった。このときだけは、青子に軽蔑されたって構わないと思った。

 オレはそのまま、青子を自分のほうに寄せて顔を近づけ、唇を重ねようとした。――のだが。


「 いやっ! 」


 青子はオレからサッと顔を背け、腕を振りほどき、その場にしゃがみ込んだ。やめて、と、か細い声で返す。


 自分は何をしているのだろう、と急に恥ずかしくなった。暑さで頭がやられていた?つい出来心で?冗談のつもりだった?――どれもただの言い訳だった。結局青子に嫌な思いをさせたことに変わりはないのだ。

 青子と同じ目線になるために自分もその場にしゃがむ。その肩にそっと触れると、パシッと叩かれた。


「 触んないで、快斗のエッチ 」

「 ……ごめん 」

「 青子は真剣に話をしてたのよ?……どうしてからかったりするの? 」


 オレとは目を合わせず、うつむいたままで話す。思ったよりいつもの調子で返してくる青子に、少しだけホッとした。無言でその場を去られたりしたら、自分勝手ではあるがオレのほうだってヘコむかもしれない。


「 ……悪かったよ。自分でも……明確に話せるほど将来のこととか、考えられてなくて……ホントごめん 」

「 ……青子には相談できないのね 」

「 ――だから、情けない姿みせらんねーだろ? 」


 ハァッと大げさにため息をついてみせた。別にそれだけが話そうとしない理由だというわけではないけれど。

 青子は今後もずっと一緒にいられるとでも思っているのだろうか。幼馴染って存在はときに残酷だ。残酷で厄介で――…それでいてあたたかい。


「 青子、…ごめんな?――アイス買ってやるから、オレが、…な? 」

「 …クレープ… 」

「 そう、クレープ。クレープな。…――なあ青子、ほら、 」


 意固地になって顔をあげようとしない青子にオレはポンッと一輪の花を出してやった。造花ではあるが、オレが水をやっているのと変わりない、綺麗なひまわりだ。


「 わあっ…! 」


 青子は突然のその花に目を丸くしたが、すぐにその表情を明るくしてくれた。目を輝かせ、少し小ぶりのひまわりを見つめている。

 とりわけ仕掛けの凝った魅せどころのあるマジックよりも、この花を出す簡単なマジックのほうが、青子は好きだった。誰でも出来るので、好きなら教えてやろーか、といたずらに言ってみたこともあったが、それでは意味をなさないらしい。

 とにかく、青子にはひまわりが似合うなと思った。オレからその花を受け取り、ありがとう、と笑顔で返す青子を見て、一安心した。


 オレはよし、とすっくと立ち上がり、しゃがんだままの青子に手を差し出し、恭しく言ってみせた。


「 ――手を貸しましょうか、お嬢さん 」


 そんなオレに吹き出した青子は、その手を取りつつも、クスクスと楽しそうに笑っている。


「 …そんなに面白いかよ 」

「 だぁって似てないんだもの! 」

「 なんだよ、キッドのほうがカッコイイってか? 」

「 ううん、その逆よ!――…快斗のほうが、ずっと素敵なんだから! 」


 青空を背景に、太陽とひまわりと、とびきりの笑顔の青子が重なった。

 少しだけ体温が上がった気がしたが、夏の日の暑さのせいにした。




End.


pixiv 2013.08.20