on a sunny day

 その日は梅雨明け間近の晴れた日だった。朝からすっきりとした青空が広がり、湿度も低く過ごしやすい暑さとなるでしょう、というウェブサイトの天気予報を見ながら、少し急ぎ足で研究室に向かった。

 他大学からの教授の訪問。何もこんな平日の朝に…と思っていたが、からりとした空の下、そんな憂鬱な気分は消え去っていた。

 また、予想以上に教授の反応がよかったことも、気持ちを晴れ晴れとさせる要因の一つとなったかもしれない。予定より30分早く終わったその訪問に、ホッと胸を撫で下ろした。


 とにかく、その日は運が良かったのだ。占いだなんて非科学的なものを信じたりはしないが、今日ばかりは、12ある星の中から一番に選ばれたことを当たってると感じた。ラッキーカラーはブルー。ハンカチだとか、何か青いものを身に着けてこればよかったわ、と思った自分に苦笑する。


 他に些細な用事をすませ、学校を出る。時刻は11時を過ぎた頃。午後の予定はなかった。

 

 久しぶりに、どこかお店に入って、ゆっくりお昼ご飯をとるのもいいな、と思った。今日は同居している阿笠博士は留守だし、真っ直ぐ帰ることもない。平日のランチなら、価格も手頃だし、休日ほど混雑していないだろう。

 最近オープンした、地下鉄出口から直結している商業ビルに行くことに決めた。あそこには確か、映画館もあったはずだ。

 ここから電車で20分。移動してご飯を食べ、ちょっと買い物をして…。一気にこのあとの予定を組み立てた。


 自然と足取りが軽くなる。地下鉄の入口まであと少し、といったところで、大通りを走ってきた車がウインカーを出し、自分のやや前方で停車するのが見えた。

 見覚えのある外国製の車。自然と頭に入っているナンバーが、いま目にしているものと同じで、まさか、と鼓動が高まる。


「 志保! 」


 ――なんで、と思う。それは拒絶の意味ではなく、むしろその逆で。

 助手席側の窓を開け、運転席から自分の名前を呼んだのは、他の誰でもなく、比護隆佑だった。


「 これからどこか行くところ? 」

「 え、っと……――もう用事を済ませたところ 」

「 そっか。……――じゃあさ、…乗って?志保ちゃん 」


*


 外の気温とは裏腹に、空調の効いた車の中は少しひんやりと感じた。エアコンを調節していいか尋ねると、風量を弱めてくれ、よかったら使って、と薄手のカーディガンを渡される。ありがとうと素直に受け取り膝にかけた。


「 今日はお休みだったのね 」

「 ああ、久しぶりに車でどこか出かけようと思って 」


 そしたら偶然、志保ちゃんっぽい人を見かけたんだ。そう言ってこちらに笑いかけてくる。――この笑顔が、いまだに慣れなかった。自分だけに向けられるには、もったいないと思った。

 好きだと言われて恋人同士になって、まだ1ヵ月も満たない。車内で2人なんて、これまでだってそういう機会がなかったわけではない。が、変に意識してしまって視線を泳がせる。

 少しだけ彼が座る運転席のほうに目を向けてみる。白い半袖のシャツに、日に焼けた肌が強調されて見えた。腕に比べて指先は意外と華奢で、ハンドルを握る姿が様になると感じる。


「 行き当たりばったりのドライブ。付き合ってくれる? 」

「 …ええ、あなたが気にならないのなら 」


 言ってすぐ、楽しみだわ、とかそういうことを言うべき場面だったかもしれない、と心の中で悔やむ。しかしそんな自分の性格を理解してくれているのか、よかった、なんて言うものだから、なんだか気恥ずかしくなる。


「 お昼ご飯は? 」

「 まだよ 」

「 お腹すいた? 」

「 …すこし 」

「 …1時間は持つ? 」

「 大丈夫 」


 どこへ行くのだろうか。カーナビも、目的地は特に設定されていなかった。――だが、あえて聞かなかった。そのほうが楽しいと思ったから。

 緊張を少しでも和らげようと、窓の外を見た。高層ビルに青空がうつり、ドライブにふさわしい天気だと感じる。

思えば、外食以外できちんと出かけるのは初めてかもしれない。突然入ったこの特別なスケジュールに感謝した。

 しかし、こんなことなら、もう少し服装に気を使えばよかった、と思う。せめて、先日買ったばかりのスカートを穿いて来れば…。後悔したって仕方のないことだと分かっているのだが。


「 寝てもいいよ 」

「 え? 」

「 いや、いつも眠たそうにしてるから 」

「 やだ…そんな風に思ってたの? 」


 ごめん、と笑いながら謝る彼に、少しだけ不服そうに視線を送った。

 ――確かに、今日の朝がいつもより早かったのは事実だった。コーヒーもゆっくり飲めなかったし、腕時計を着けるのも忘れた。


 高速道路の緑色の看板が目に入る。車はゆるやかなカーブを曲がり、インターチェンジに滑り込んだ。

 比較的空いている道路を、特別速くもなく遅くもない一定の速度を保って走る車に、言い訳できないほどの眠気を感じる。――やっぱり、少しだけ寝てもいい?と聞くと、それに頷き、カーラジオの音量を下げてくれた。

 膝にかけていたカーディガンを肩まで持ってきて、ゆっくりと目を閉じた。


*


 停止と発進を繰り返すリズムを体が知覚し、自然と目を覚ます。いつの間にか一般道路に降りた車は、お昼過ぎの混雑した道の上にいた。

 時計に目をやると、先ほどから20分ほど時間が経過している。窓に寄りかかって少しだけ乱れた髪を、サッと整えた。


 ふと外を見ると、だだっ広い芝生が広がる公園の先に港が見えた。大きな客船が、空の青と海の青をキャンバスに、その存在感をはっきりと示している。


「 海… 」

「 ――…好きなの? 」

「 嫌いじゃないわ 」


 そう言うとすぐに、彼は吹き出したように笑って、そっか、とだけ返した。


「 …私、なんか変なこと言った? 」

「 …いや、…ごめ、 」


 可笑しそうに笑う彼の横顔を、不思議そうにぼんやり見つめる。

 少し落ち着いたのか、前に工藤がさ、と話を続けた。


 ――アイツ、本当に素直じゃないんですよ。美味しいもの食べても、「悪くない」とか言うし、仕事でお礼言っても「自分のできることをやっただけよ」とか言う。

 ――気を付けたほうがいいですよ。素っ気ないときこそ、何かに感動してるときがある。最近は分かりやすくなりましたけどね。


「 ――…って言ってたの、思い出して 」

「 何よそれ…分かったように言わないでほしいわ。――…好きよ、海。好きだわ 」


 探偵として洞察力のある彼の、全てを見透かしているように語る姿が容易に想像され、少しだけ面白くなかった。

 そうやってムキになって返すと、再び彼はクスリと笑みをこぼした。


「 ――今度は何がおもしろいの? 」

「 …いや、…ホントごめ、 」


 二度目の笑いに、次は不機嫌そうに顔をしかめる。

 笑ったのを弁解するように、慌てて付け加えて話した。


 ――志保ちゃんめっちゃ子どもっぽいときありますよー。先輩の前では隠してんのかもしらんけど。からかったら表情コロコロ変わります。

 ――こないだ、ネットで先輩の高校時代の動画見つけて、2人で見てて。めっちゃ無邪気で楽しそうにしてましたよー。普段からああいう顔すればええのにって思いましたわ。


「 ――…って、貴大が言っててさ 」

「 …だから私、あの人たち嫌なのよ… 」


 語尾を尻すぼみさせ、大袈裟にため息をついてみせる。

 恋人同士になったと知ったとき、2人は容赦なく興味をこちらに向けてきた。特に真田貴大は人の心に取り入るのが上手かったために、言うつもりもなかったことを何度か口にしてしまった気がする。


「 ――…嫌い? 」

「 嫌いよ 」

「 じゃあさ、オレは? 」

「 ――…え? 」


 抜けない渋滞の中で、反対車線を走る車の音がやたら響いて聞こえる。

 思わず彼のほうを見た自分を、ジッと見つめ返す視線が痛く感じて、すぐに目を逸らした。


「 オレのことは…嫌い?――志保ちゃん 」

「 ……言わなきゃわかんない? 」

「 ……うん 」


 嫌いなはずがない。もちろん好意を寄せているのだが…

 振り返れば、きちんと自分から好きだなんて言わなかったかもしれない。そもそも世間一般に広がる、まともな愛とか恋とかの形が自分には分からないのだ。

 分からないからこそ、これからは試していかなければならないと思うし、相手が求めていることに応えていかなければならないと思う。そう思ってはいるのだが…


 とりあえず、好きだという言葉の重さはひしひしと感じている。たった今、この瞬間。そして苦し紛れに返した言葉が――…


「 ……嫌い、…じゃ、ないわ 」

「 ――うん。もっと素直に言える? 」


 脈を打つ心臓の音がはっきりと聞こえる。これで納得してくれるわけがなかった。

 ――ああ、なんで。好きな人に好きだと伝えるだけなのに。こんなにも自分は。


 注がれた視線を全身で受け止め、意を決した。



「 ――――――……す 」


 き、と発するが早いか、突然ぐいっと強い力で腕を引かれ、驚いている余裕もなく気が付いたら自分の唇に彼の唇が重なっていた。

 ゾクッとした背筋に、冷や汗がつたったのを感じる。狼狽する瞳を隠すように固く目を閉じた。

 顔が、体が、徐々に熱くなってくるのを悟られただろうか。そんな心配も束の間、名残惜しく唇は離された。そしてクラクションが鳴らされる直前で、渋滞の道に車を少しだけ前進させる。


「 次は1回で言ってほしいな 」


 平然とそうやって言いのける彼を、少しだけ潤んだ瞳で睨む。大きく感情を揺さぶられて、なんだか悔しくなって、ほんの抵抗にと反論してみる。


「 1回で言わなかったら、また、キスしてくれる? 」


 そう言うと、一瞬、驚いたように目を丸くしたが、すぐにはにかんで口元を手で覆い、何も言えなくなった彼の仕草を確認し、満足してもう一度窓の外を見る。


 青い空と青い海。日差しはたっぷりと注がれて、真夏に近い晴れ晴れとした陽気にめぐまれている。

 午後はまだ始まったばかり。今日だけは、これからどんなことが起きても平気だって思えた。




End.


pixiv 2014.07.01