黄昏れマリーシア

 チーム内で、練習後や試合後に、シャワーを浴びて着替えるときのスピードが速いと言われてきた。いつだって、それは変わらない。

 例えばジムで身体をメンテナンスしたあとだって、一緒に来ていた誰よりも先に帰る準備が整う。だから自分だけ先に更衣室を出て、エントランス近くのカフェテリアでチームメイトを待つのが常だった。

 この時間で、日が暮れるのを眺めながら、音楽を聴いてのんびりするのだ。設置された、ゆったりとしたソファーは、あまりにも居心地が良いため気に入っていた。


 今日だってそうしようって、思っていたのに。


 カフェテリアまで来て、足を止めた。いつも自分が座っている、同じソファーに、先客がいるのが目に入る。

 ふわふわで色素の薄いウェーブの髪。日本人離れしている、あまりにも端正な顔立ち。透き通る白い肌が光る、すらっとした長い手足。

 確か名前はミヤノさん。少し前、工藤に誘われたフットサル大会にも来ていた。最近、何かと話題に上ることが多い。――比護さんと親しい謎の美人、ミヤノさん。


 その彼女だと知覚すると、無意識のうちに顔をしかめてしまった自分がいた。

 工藤の仕事仲間だか何だか知らないが、一般の女性で、しかもこんなに綺麗な人が、サッカー選手に近付くということに、ある種の警戒感を持っていたのだ。――さらに、噂の相手が比護さんときている。彼が女性に優しく、冷たく対応できないのは自分がよく知っている。それで過去に、ファンの女性を相手に少々トラブルがあったことも。

 

 別に2人の間柄に口を出すつもりはない。――けれど、気が付いたら彼女のそばに寄り、向かいのソファーを指さし、ここ大丈夫か?と声をかけていた。

 彼女は雑誌に落としていた視線をチラリとこちらに向けると、どうぞ、とだけ言った。無愛想のお手本のような対応だった。


 近くで見ると、いっそう綺麗だった。これは惚れるわ、と思った。

 工藤によると、確か同い年だったはずだ。これまでに自分の身近にこのような女性がいただろうか。――いや、プロとしてサッカーをプレーする立場になり、派手な付き合いがなかったわけではないが、今まで出会った誰よりも美人だと断言できた。


「 比護さんのこと待ってるん? 」

「 ――ええ、まあ… 」

「 あと15分はかかると思うで 」

「 …そうですか 」


 雑誌を見たまま自分と目を合わせるわけでもなく、淡々とそう返す。

 ――めっちゃツンツンした嫌な女!絶対ウラの顔とったる!――

 自然とこみ上げてきた思いから、少しだけけしかけるようなことを言ってみる。


「 どうやって落としたん?比護さんは簡単やった? 」

「 ………別に、付き合ってるとかじゃないです 」

「 そんな本気でもないっちゅーわけか 」

「 …………… 」


 初めて表情を崩し、顔を上げてこちらを見る。冷たい視線が容赦なく降りかかった。


「 適当にご飯行って帰り際にプレゼントでも貰って、お金落としてくれて。相手は日本を代表するサッカー選手やし、そりゃー箔が付くやろーな 」

「 …………… 」


 挑発的な言葉に、何か言いたげに口を開くも、少し間をおいてため息をついてみせた。あくまで無視するつもりだろうか。


「 なんや、間違うてないやろ 」

「 ――そうね、彼は相当のお人好しだと思っていたけれど、あなたがそう言うなら、やっぱりそうなのね 」


 呆れたようにこちらを見つめる。落ち着いた声から発せられた言葉の一つひとつが、しっかりと胸に響いてくる感覚だった。


「 そしてあなたも――…先輩思いのお人好しだわ 」

「 …悪かったな、お人好しで 」

「 ――でも安心して。私はあなたが思うような器用な人間じゃないわ 」


 自嘲気味に笑って言った。そして再び雑誌に視線を落とし、パラリとページをめくる。こちらの反応を待っているような、待っていないような、曖昧な態度を示していた。

 この沈黙をうめるように、言葉を紡いで言った。


「 いつも、会うのは今日で最後だって言い聞かせているの。…遊ばれてるって感じてるのは、こっちのほうよ 」


 それだけ言うと、フと顔を上げた彼女の表情が、一瞬で明るく、穏やかなものに変わった。

 自分のほうを見ているわけではない。その先の何か――…



「 志保ちゃん!――と、貴大?……2人、面識あったっけ? 」

「 たまたま相席しただけよ 」


 振り向いたところにいたのは、私服の比護さんだった。

 彼女はふわりとソファーから立ち上がり、手にしていた雑誌をラックに片づけた。



 特別、自分に話しかけるわけでもなく、じゃあなとあっさり挨拶されて、2人はエントランスを後にする。

 いや、そうだけど。自分はあくまでチームメイトを待っていたわけで、比護さんを待っていたわけではないけども。

 最後までこちらには一切の愛想笑いすら見せてこなかった彼女を、苦々しく思う。――比護さんには、あんなに純粋な笑顔を見せるのに。しかもたまたま相席しただけって!ソファー他にもあるけど、あえてやん!


 見送った2人の後姿が、目に焼き付いて離れてくれない。釣り合いのとれた背格好。完璧すぎる容姿。醸し出す雰囲気…

 ――…遊ばれてるって感じてるのは、こっちのほうよ…――


「 なんや…お似合いやな… 」


 ぽつりと呟いた声が、夕日で赤く染まるエントランスに消えた。




End.


blog 2014.06.24