secret crush

 片想いが楽しいだとか、そんな浮かれたことをいう人がいるけれど、その時点である程度「脈アリ」なのだと考えていいと思う。でなければ、一方的に抱いた恋心を、相手に伝えられない、受け取ってもらえない苦しみや辛さはどこへ行ってしまったのだというのだろう。まして、その相手にすでに意中の人がいるとしたら…?

 そのときはきっと、苦しみや辛さが、悲しみや切なさに変わる。経験した恋による成長だとかいった話は、また二の次だ。


 冬休みが明け、席替えをした。

 よくあるくじ引きで、窓側の後ろから2番目の席を引き当てたわけだが、移動してみると思ったとおり、黒板が少し見づらかった。

 日当たりがよく冬場では暖かいこの席は、後ろの方ということもあり、頼めば誰でも交換してくれるに違いない。そう思って適当に、前の方の席になったと落胆しているクラスメイトに声をかけようとしたそのときだった。


「 円谷くん、そこの席なの? 」

「 ――えっ…? 」

「 私、ここなのよ。よろしくね 」


 僕の斜め前の席に着き、ふんわりと笑った彼女は、同じクラスで、小学校1年生のときから付き合いのある灰原哀だった。そしてまた――ずっと片想いをしてきた相手、でもある。

 「 あっ、はい! 」と言った声が裏返ってしまわなかっただろうか。緊張で何も考えられず、気づけば彼女は前を向いて、移動させた荷物の整理をしているところだった。

 自分もそれにならって荷物を片付ける。もう席を替えてもらうなんてことは、考えなかった。


 灰原さんはいつも、朝のチャイムより10分前には教室に入ってくる。そして眠たそうな表情で、「 おはよう 」と声をかけてくれる。

 席に着き、マフラーをとって、静電気がおきた髪をとかす。手袋をはずして、几帳面にたたむ。そんななんてことのない仕草の一つ一つが、とても丁寧でキレイに見えた。

 以前から周りの女の子よりも大人っぽい一面を見せていた灰原さんだったが、高校生になってさらに増したようだ。そしてそれは、他のクラスメイトからも噂されていたことだった。――灰原さんは、一人だけ雰囲気が違う、と。

 だからなのであろうか、自分もなんとなく、灰原さんと接する機会が減ってしまった。2年生になって同じクラスになれたのは嬉しかったが、別に普段から仲良く話をしたり、ということはなく。

 少年探偵団のみんなと遊ぶときは、以前と変わらず楽しくやっているが、中学、高校と時間が経過するにつれて、最近ではその機会もすっかり減ってしまった。

 こう言ってしまえば悲しいが、クラスでの立ち位置みたいなものもあるよなあ、と思う。明るい子もいればおとなしい子もいるし、それでグループなんかもできてしまう。そもそも男か女か、という時点ですでに同じグループには属せられない、と思う。もちろん例外もあるけれど…

 そして灰原さんは、やっぱり、って言ってしまうとよくないけど、やっぱり一人でいることが多いようだった。


「 今日って数学の宿題あった? 」

「 あっ、はい、えっと……56ページの大問1が… 」

「 ありがとう 」


 たまに灰原さんが後ろを向いては、こうやって少しだけ会話をしたりする。

 灰原さんが宿題の範囲を気にしているのは、めずらしいことだった。はっきりと確認したことはないが、おそらく、いつも宿題をやってきている様子はない。もっと言うと、授業中に熱心にノートをとっていることも少ない。

 それでいて、急に先生にあてられて黒板に解答を書かされることがあっても、動じたりはしないし、必ず答えは当たっている。さらに、中間テストや期末テストでは一位、…とまでは言わないが、目立たない程度に上位層に入っていることが多い。

 灰原さんみたいなタイプの人間を、少なくとも僕はもう一人知っている。これまた同じクラスの、江戸川コナンくんだ。

 彼も小学校1年生のときからの付き合いで、昔から相当頭のキレる人だった。コナンくんに分からないことなんてないんじゃないかって、本気で思っていたりする。

 また頭脳明晰なだけでなく、運動神経もよい。中学校の頃から今もずっと、サッカー部に所属していて、コナンくん一人で部を全国大会に導いている、と言っても過言ではないほどの実力の持ち主だ。サッカーだけでなくとも、体育の授業の範囲なら、なんでもソツなくこなしてしまう。

 ――さらに容姿も完璧で、もちろん、そんな人がモテないはずがない。けれど本人は興味がないようで、女の子からの遊びのお誘いや告白を一切断っているらしい。

 以前は、目立つのが好きな人だった、はずだ。数々の事件を解決する助けとなって、‘お手柄小学生!’なんて報道されたり、キッドキラーなんて呼ばれて取材に応じたりしていた。それがいつだったか、あるときを境に、急におとなしくなってしまった。おとなしい、というか変に目立つことをしたがらない。

 例えばサッカーで全国大会に出ても取材は絶対に受けなかったし、スカウトなんかの類いも断っていた。勉強だって、たぶんやれば学年一位だってとれるのだろうが、適当に加減してやり過ごしているように思える。

 僕はそれを高校1年生のときに、思い切ってコナンくんに指摘してみた。するとコナンくんは笑って言った。‘買いかぶりすぎだよ、光彦。オレはいつだって全力だぜ?’

 確かに、僕のコナンくんに対する憧れのイメージを、押し付けてしまっているだけなのかもしれないな、と思った。それだけ、小学生の頃から何でも出来て、頼りがいのある人だったから。

 コナンくんとは、2年生で同じクラスになってからも一緒にいることは少ない。もちろん何かあれば話したりもするし、仲が良いほうだとは思うけれど、逆に言ってしまえばそれだけの関係にすぎなくて。彼は部活で忙しい、というのが僕の中に新たに出来た、コナンくんのイメージだった。


 そんなコナンくんのことを、灰原さんは、授業中によく見つめているな、と感じたことがある。コナンくんの席は、不運にも前から数えて2列目、真ん中に位置していて、灰原さんの席からでも十分、彼の姿を捉えることができるだろう。

 2人が高校生にあがってどんな風に接しているのか、僕はよく知らない。ただ、クラスが同じでも話している姿を見たことがないのは確かだった。以前は、なんだか彼らは似ていて、同じ世界を2人だけで共有しているように見えたのだが、――ああ、年が経つにつれてその関係性も変わってしまったのかな、と勝手に思っていた。

 だから正直、灰原さんがコナンくんのほうを見つめているなんて認めたくなかった。しかし、そう考えれば考えるほど、彼女の見つめる先にコナンくんがいることが確信に変わってしまう。

 ――またそうなると、僕が灰原さんのほうを目で追っているのと同じ気持ちで、灰原さんもコナンくんのほうを目で追っているのではないか、という気がしてならなかった。つまり、灰原さんは、コナンくんのことが好きなのではないか、と。


 席替えをして1ヵ月ほどが経過したころ、その晴れない思いが、良くも悪くも解消される日がやってきた。

 僕は放課後、教室に残って一人で生徒会の仕事をしていた。すると灰原さんが少し急いだ様子で教室に駆け込んできたのだ。


「 あら、円谷くん… 」

「 どうしたんですか?灰原さん 」

「 折りたたみ傘、忘れちゃって…ほら、今にも降りそうでしょ? 」


 灰原さんが窓の外を見て言った。確かに空はどんよりとしていて、雲行きは怪しい。時刻は17時半を過ぎた頃で、あたりはすでに暗くなっていた。


「 生徒会のお仕事?――遅くまで大変なのね 」

「 いえ…僕が怠けてやり残してただけなので… 」


 たわいもない会話は、長くは続かなかった。帰りのホームルームが終わってすぐに暖房が切られてしまったせいで、教室はすっかり冷え切ってしまっている。ひんやりとした空気の中、白く光る蛍光灯がさらに教室を寒々しく見せた。


「 じゃ、風邪引かないようにね 」


 自分の机の引き出しから折りたたみ傘を取り出し、ふんわりと笑ってこっちを見た。そんな彼女の微笑みに、自分も曖昧に笑って返す。すっかり見慣れてしまったマフラーが、手袋が、とても温かそうに見えた。茶色くウエーブのかかった髪が、早足で歩くたびに規則正しく揺れる。

 後ろ姿を目で追っていただけならよかった。しかし、気がついたらなぜだか僕は立ち上がって、彼女を呼び止めていた。


「 灰原さん! 」


 少しだけ驚いた表情で彼女は振り向いた。そして落ち着いた優しい声で、「 どうしたの? 」と尋ねてくる。

 何の言葉も用意していなかったために、「 えっと… 」と言ったきり沈黙になってしまった。不思議そうにこちらを見つめてくる視線が痛く、真っ直ぐ前を向くことすらできない。ピンと張りつめた空気は冷たくて、この状況をより厳しくさせている気がした。

 放課後、暗くなった時間の教室に二人。こんな瞬間がおとずれることがあるなんて、考えたことがあっただろうか。緊張で握った両手に汗がにじんだ。そしてもう一度、「 あのっ…! 」と声をかけたそのときだった。


「 灰原ー 」


 教室に入ってきたのは他の誰でもない、コナンくんだった。すぐに僕の姿を捉え、「 あれ?光彦じゃん。何してんの? 」と言う。そして驚きで言葉を失った僕のかわりに灰原さんが、「 生徒会のお仕事ですって 」とこたえた。


「 そっか、こんな時間まで頑張ってくれてんだな 」


 労いのつもりで言ったのだろうが、今の自分には、その気遣いがストレートには伝わらなかった。「 いえ、そんな… 」と発した声に力はなく、2人に届いたのかさえ危うい。


「 雨が降る前に帰れよ 」


 じゃあな、と手を振ったコナンくんに、灰原さんは続いて後を追う。教室を出る前に申し訳なさそうに頭を下げた彼女に、笑顔を作るのが精一杯で。

 僕は結局、黙ったままその場に座り込んだ。ほんの1分足らずで何が起きたのか全く把握できていなかった。ただ見送った2人の姿が脳裏に焼きついて、離れなかった。


*


「 知っててわざと声をかけたの? 」

「 …何が? 」

「 昇降口で待ってて、って言ったじゃない 」

「 …そうだっけ? 」


 まるで会話にならない。灰原哀は諦めたかのように、「 もういい 」と呟いた。

 折りたたみ傘を持ってきて正解だったようだ。予報では夕方以降、60%の降水確率だとされていたが、学校を出てすぐ、シトシトと雨が降り出した。


「 ――灰原 」

「 ……なに? 」

「 アイツとあんま仲良くすんな、って言ったろ 」

「 ……ええ 」


 傘から滑り落ちた雫が、肩を濡らして冷たい。これでは本当に風邪を引いてしまうのではないかと思う。こんなに寒いのだから、いっそ雪になってしまえばいいのに。そしたら傘なんてささないし、童心に返ったように心を躍らせてみせるのに。


「 覚えてるわよ、工藤くん 」


 ふんわりとした笑顔は、隣を歩く彼だけに向けられたものだった。2人で共有した傘は小さく、自然と歩幅を合わせる助けとなった。

 2人の家路は変わらない。昔も今も、その距離も。




End.


pixiv 2013.02.05