伝えたい

 屋上へと続く階段。

 そこには‘立入禁止’の文字があって、形だけではあるが、一応ロープが張られた状態となっている。


 その階段に腰を下ろし、昼食をとるのが、彼女――灰原哀の日課となりつつあった。


 昼休みは何かと来客が多いのだ。特にここ最近は。

 ウワサの真偽を確かめに来る女の子。愛の告白をしにくる男の子。学年を越えて、その人数は減ることを知らなかった。


 教室にいては、のんびりと落ち着いて昼食がとれなくなってしまった哀は、仕方なく人目のつかなさそうなこの場所を選んだ。

 ここは、普段授業を行っている教室のある本校舎とは離れた、北校舎だ。

 音楽室があることから、吹奏楽部が昼休みに練習しに来るが、それ以外、人通りは皆無と言ってよかった。

 さらに、これは折り返し階段。上のほうまで上がってしまえば、階段の前を通行する人々の死角となってしまうのだ。屋上へは鍵がないと入ることはできないし、誰もこんなに上まで上がって来ることはないだろう。


 そう、思ってた。のに…


 今日も近づいてきた。階段を駆け上ってくる足音。タンッ、タンッ、タンッと、やたら軽快な音に聞こえるのは、彼が一段飛ばして上っているからだろうか。

 そんなに急がなくていいのに、と思わずクスリと笑みがこぼれる。――いや、嬉しいなんて表情に出しては、いけない。


 踊り場で足を止め、哀の姿を確認するとフッと笑ったその人物の正体とは、言わずもがな江戸川コナンである。


「 今日も早いな、灰原さん 」


 ごく自然に哀の隣に来て、腰を下ろす。


「 あなたみたいに、来る前に購買でパンを買ったりしてないもの 」

「 だから弁当作ってくれよ、オレの分も 」

「 あれ本気で言ってたの? 」


 哀があからさまに呆れた表情をする。

 どうして今、こうして2人で、しかもこのような人目にもつかないところで、昼食をとっているのかも分からないというのに。


 そもそも、なぜこの場所が彼に知られてしまったのだろう。

 哀がここで昼食をとるようになったのは、せいぜい一週間くらい前のことだったが、コナンは、もうその次の日には当たり前のように哀の隣にいた。

 哀を見つけ、その第一声が「 やっぱりここだったか 」、であったのだが、なぜバレてしまったのか、その理由は言わなかった。

 自分が探偵バッジを身につけているのをいいことに、あの古びたメガネの追跡機能でも使ったのではないのかとすら思う。


 チラリとコナンのほうを見やる。

 彼は、‘江戸川くんと灰原さんは付き合っている’というウワサについて、どう思っているのだろう。こんなところ誰かに見られたりでもしたら、否定したって信じてもらえないだろう。

 ……いや、彼のことだから、ウワサはウワサで放っておけばいい、そっちのほうが楽だし、くらいに思っているのかもしれない。それには大方同感ではあるが。でも…


 好きなのかもしれない。確実に彼に好意を抱いている。


 その上でこのウワサ。この状況。

 きっと彼はそんなに深く考えていない。自分は幼なじみの彼女とは正反対であるし、そんなこと、あるはずがない。

 そう言い聞かせては見るけど、なんだか気持ちが落ち着かないのは本当で。このままでいいような気もするけれど…

 何が一番イヤって、こうやって翻弄されている自分だ。自分が、イヤになる。


 探偵なら、白黒はっきりさせてみなさいよ、なーんてね。



 日差しが出て、踊り場から階段全体を明るく照らす。

 最近めっきり冷え込むようになって、教室から出てしまうと寒いだろうかと心配したが、その必要はなかったようだ。ひざ掛けだけで、十分防寒できた。


 何を話すわけでもない。

 彼も携帯を触って、時には電話をかけたりすることもある。自分も本を持参したりする。

 共有しているようであって、共有していない時間。

 それは眠ってしまいそうになるくらい穏やかで緩やかで、心地いい。

 学校生活に、こういう時間があってもいいだろう。


 と、思っていたのも束の間。



「 これ分かる? 」

「 なに?クロスワード? 」

「 横の4番 」

「 んー? 」


 コナンが、哀の雑誌を覗き込むようにして見たときだった。

 二人の距離は一気に近づいて、コナンは、一見すると哀の肩に身を預けているようにしかうつらない。


 だからだろうか。


「 ちょっと押さないでよ元太くん! 」

「 わっ、危ないですよ歩美ちゃん 」

「 だって見えねーじゃんかよー! 」


 ヒソヒソと話す声は、他に誰もいない階段に響いた。きっと隠れてのぞき見でもしているのだろう、姿こそ見えないが、その声に聞き覚えがないはずはなくて。


 哀とコナンは一瞬目を丸くしたが、お互いに目を合わせ苦笑した。

 ゆっくりと哀が、声の元まで近寄る。


「 ちょっと、何してるのよ、あなたたち…… 」

「 はっ、灰原さん! 」

「 えへへへへ…… 」


 決まりが悪そうに笑うのは、吉田歩美と、円谷光彦だった。その二人の後ろに、パンを片手に持った小嶋元太もいる。彼は一人、素知らぬ顔だ。


「 こそこそのぞき見なんて悪趣味だぞオメーら 」

「 よくここが分かったわね 」


 少年探偵団の全員がそろうのは久しぶりだが、状況が状況なだけに、気の利いた言葉も出てこなかった。

 いや、そんな言葉、もしかしたら必要ないのかもしれない。顔を合わせた瞬間からすでに、コナンや哀は以前と変わらぬ優しさをふくんだ保護者目線で、三人を見ていたのだから。


「 あ、あのねっ、……私たち、2人に聞きたいことがあって来たの! 」


 そう言うと、キッとなって光彦のほうを見る。そんな歩美に、光彦も頷いてみせた。そして思い切って口を開く。


「 あ、あの、…えっとその、……灰原さんは、コナンくんのことが好きなんですかっ? 」

「 ――え? 」


 大方、ウワサについて何か聞かれるのだろう、と予測はしていたのだが、少しズレていて、あまりにも単刀直入すぎる光彦の質問に、思わず面食らって苦笑する。

 しかし、真剣な眼差しを前に、黙っているわけにもいかない。


「 そうね……好きかどうかと聞かれたら――…… 」

「 答えてあげるが世の情け、ってか? 」

「 コナンくんは黙っててください!! 」

「 というかそうじゃないでしょ光彦くん!! 」


 横槍を入れるコナンに、それを咎める光彦。さらに非難する歩美。

 あれよあれよという間に繰り広げられていく会話をよそに、元太だけが2つ目のパンに手を伸ばしている。彼は何の目的でここに来たのだろう。歩美と光彦に、元太くんも少年探偵団の一員なんだから、という理由で連れて来られたのなら、同情せざるを得ない。


 歩美が改めて咳払いをして、再び二人に尋ねる。


「 あ、あのねっ?……2人は、付き合ってるの? 」

「「 ………… 」」


 さすがだ、となぜか感心すらしてしまう。

 こんな質問を、当事者二人に同時に投げかけることができるのなんて、この学校で少年探偵団のみんなくらいだろう。

 そして、この状況を回避する術を知らない。自分だけだったら、付き合ってない、の一言で終わらせるのだが。そうできない、というかしたくないのは、隣に彼がいるからで。


 最初に口を開いたのは、コナンのほうだった。


「 ……オメー、今月入ってこの質問何回された? 」

「 え?……えっと……7、8回くらいだけど… 」

「 勝ったー オレ13回 」

「 ……ハイハイ……――それで?なんて答えているのかしら? 」


 別に期待してるとか、そういうんじゃなかった。

 ただ、純粋に気になった、だけ。


 守ってくれるって言ったって、

 涙を止めるって言ったって、

 付き合ってるとか、そういう括りでは決してなくて。

 むしろそんな言葉でおさめることが間違いなんじゃないかって。…いや、これは強がりとかではなく。


 とにかく、付き合ってないって、彼の口から聞けたらそれでいいのだ。


「 なんて答えてるの? 」

「 コナンくん! 」


 哀に続いて、歩美と光彦がこぞってコナンに問い詰める。

 冷静そうに見せながらも、内心ではすごく緊張しているだなんて言えない。

 心臓の鼓動がうるさく鳴り響いた。


「 ――…付き合ってるけど、それがなんだよ、って 」


 いつものしたり顔で平然とそう言ってのけた彼は、口が開いたまま塞がっていない光彦と歩美を、「 なんて顔してんだよ 」と笑い飛ばした。


 私はというと。

 突然の言葉に驚きつつも、平静を保ったフリをして、「 バカね 」とだけ返した。今の自分には、それだけで精一杯だった。

 しかし、どうせ彼のことだから「 ああでも言わないと、あいつらうるせーだろ? 」とかそういう理由であんな風に言ったに違いない。


 少しだけ赤く染まった頬を、そう悟られないように髪の毛で隠そうとする。この仕草がもうすでに、不自然にうつっているかもしれない。


 言葉を失った光彦と歩美を、コナンは「 だからもう、教室戻れよ 」とたしなめる。

 きっと聞きたいこと、言いたいことはまだたくさんあるんだろうと、少し気の毒に思いながらも、すごすごと去っていく二人と、それについていく一人の後ろ姿を黙ったまま見送った。


 また二人きりだ。



「 あんまり……からかわないであげてよね 」


 コナンから言い訳を聞く前の、逃げの発言だ。

 鳴り止まない鼓動は、それでもさっきよりは大分落ち着いてきた。


「 ……本当に、ああやって聞かれたらそう返してるけど 」

「 ……あら、そう…… 」


「「 ……………… 」」


「 メーワク? 」

「 別に…… 」


 ああなんだ、

 翻弄されていたのはきっと、彼も同じで。


「 ……じゃあ調子に乗るけど 」


 頭を掻き、うつむいたままボソリとつぶやくものだから、なんだか可愛いなどと思ってしまった。


「 勝手にすれば 」


 きっと、この言葉の意味が肯定でしかないことを、彼は知っている。


 大切な言葉なんて口に出さなくてもよいのかもしれない。

 ……なんて言ったら、あのカチューシャがトレードマークの女の子に小言を並べられるかもしれないが。‘そんなんじゃダメだよ哀ちゃん、ちゃんと確かめあわなきゃ’とかなんとか。


 でも、当分の間はこれでいい。

 これが、今の私たちには心地いい。


 少しだけではあるが、彼が笑ったのを確認して、すっくと立ち上がった。

 そろそろチャイムが鳴るころだろう、お弁当箱とひざ掛けをかかえて、階段を下りようとする。


「 あ、灰原 」


 その後を追いかけるようにして立ち上がったコナンが、少しだけ距離のあいてしまったために哀を呼び止めた。


「 ……なに? 」

「 今日は練習ないから……その……図書当番の仕事終わるまで待ってる 」

「 ……ありがとう 」


 その言葉の意味を噛み締めながら、今日だけは素直にお礼を言った。

 うつむいたまま、小声になってしまったが、自分にしては上出来だと思う。


「 やけに素直だな 」

「 文句ある? 」

「 …ずっとそうしてればいいのに 」


 でもそれじゃ、物足りないとか言うんでしょう?


 いつか、遠い未来ではないいつか、ずっと素直でいられるような瞬間が来て、言えそうだって思えたら、彼に伝えよう。

 きっと心に留めていたとしても、緊張して思い出せないと思うから、そんなに長い言葉にはできないけど。

 単純に、「 好き 」だって言うから、相応に受け止めて欲しい。


 そしたらあなたは、どんな表情をみせてくれる?――……


 出会ったときより随分と背の伸びた彼を見上げながら、黙って階段を下りた。




End.


 pixiv 2012.11.20

再校正 2014.11.01