迷惑だとか、誤解だとか、そんなことは思わなかった。
「 灰原さんって、コナンくんと付き合ってるって本当? 」
昼休み。
灰原哀は、一人、お弁当を広げているところを、同じクラスの女の子に話しかけられた。
哀の席は、幸運にも窓側の一番後ろだった。
他の誰かとお昼を共にすることもあるが、今日はたまたま一人だったので、教室の自分の机で昼食をとろうとしていたのである。
――こういうとき、変に浮かないところが、哀のいいところである。普通、中学生の女の子が教室で一人で昼食、となると、変なウワサがたったり、冷やかされたり、とても状況がよいとは言えないだろう。
しかし、そんな風にはうつらない。‘ぼんやりと窓の外を見ながらご飯を食べる、昼休みの灰原さん’を、わざわざ他のクラスから見に来る物好きもいるらしいから驚きだ。
「 そんなこと……誰が言ったのかしら? 」
「 もう学年中のウワサになってるよ!違うクラスなのに、一緒に帰ってるとこ見かけるし……あ、ほら、コナンくんケガしてたでしょ?あのときだって灰原さん、肩かしてたり…いい雰囲気だなあって 」
一通り話すだけ話して、ニコニコと哀の反応を待つ。この笑顔が怖い。
昇降口で具合が悪くなって、声をかけられた日から…そして彼が捻挫をしてから、なんとなく一緒に過ごす時間が増えた。
二人で学校に行ったり、二人で帰宅したり。基本的には彼には部活、自分には図書当番の仕事があるため、時間が合うことは少ないはずなのだが。
どういうつもりか知らないが、特別な理由もなく、「今日は時間どおりに部活が終わるから」とか、「部会だけだから17時には終わる」とか、メールをよこしてくることすらある。
そんな彼の横柄な態度に苦笑しつつも、黙って「分かった」と返信する自分が憎い。
肩をかす、か。そんなことしただろうか?自分でも記憶していないことを、見ている人は見ているものだなあと感心する。‘好きな人’のパワーというものはすごい。
「 付き合ってるとか、そんないい関係じゃないわ 」
「 そうなの?じゃあ友達ってこと? 」
「 そうね……友達、ね…… 」
友達か、と言われると違う気もする。しかし恋人であるとは言えない。
どう返答したものか、とにかくそういう関係ではないことだけは伝えたい。
哀が言葉を選んでいると、ちょうどタイミングよく、コナンが教室の後ろの扉から入って来て、こちらの机まで一直線に向かってくるのが見えた。
「 江戸川くんだ 」
話しかけてきた女の子が即座に反応する。
――まずい。状況が良いとは言えない。
「 ごめんなさい、説得力がないかもしれないけれど、本当にそんなウワサみたいな関係じゃないの 」
早口で言い切ると、哀は、席を外してほしいと、目で訴えた。
彼女もおそらくコナンと直接話したことがあるとか、仲が良いとかいう関係ではないのだろう。
決まりが悪くなったのか、コナンが近づいてくると、「 分かった。それじゃまたね 」と言って素早く哀の元を離れていったので、ほっと息をついた。
「 誰?友達? 」
当たり前のように隣に座って、コナンが言った。
「 ……そんなところ。――何の用? 」
何も知らないコナンに、つい冷たい態度をとってしまう。
彼は少しも悪くはないのだが、適当な言い訳が見つからず、苦労しているこっちの身にもなってほしい。
――もっとも、コナンも哀とのウワサのことで、苦労しているということを、哀は全く知らないのだが。
「 薬。もらうの忘れちゃって 」
「 ああ… 」
コナンは少し前に風邪をひいて、治ってから時間がたったものの、咳だけが残ってしまった。哀が今でも咳止めの薬を出しているのだ。
彼はウワサのことを知っているのだろうか。人目が気になるから、出来れば早くここを去ってほしい。
そんな哀の思いとは裏腹に、ちゃっかり哀のタンブラーを断りも無しにひょいと持ち上げ、もらった薬を飲んでいる。
――ああ、こんな様子がハタから見れば‘付き合っている’と表されるのだろうか。彼はどう思っているのだろう。…いや、どうも思っていなさそうだ。
「 あのさ、 」
哀に話しかけたコナンに、なに?と聞こうとしたが、同じタイミングでクラスの女の子に 「 灰原さーん 」 と呼ばれ、哀は席を立った。
「 どうしたの? 」
「 なんか、えっと…誰だっけ…、2年生?の岡田くん?…とかいう人が、呼んでるよ 」
「 ………そう、ありがとう。すぐ行く 」
急いで食べ終わったお弁当箱を片付ける。
ピルケースも、タンブラーも、かばんの中にしまった。
岡田?――…聞いたことはないが、誰だろう?
「 …知り合い? 」
「 …さあ? 」
さっと髪の毛とリボンを整える。
少し駆け足で教室を出ていこうとする哀にコナンは、 「 灰原、 」 と一声かけた。哀は扉のところで足を止める。
「 ……なに? 」
「 ……いや、なんでもない。悪い 」
曖昧に笑うコナンを不思議に思いながら、教室を出る。
出たところのすぐの壁際でもたれかかっている‘岡田くん’らしき男子生徒は、哀の姿を確認すると、目で挨拶した。
「 ごめんね、時間大丈夫? 」
「 ええ……用事って? 」
「 ここじゃちょっと。場所変えていい? 」
哀はコクリと頷き、彼のあとをついていった。
これは…もしかすると告白か。
これまで哀に告白してくる男子生徒は、いなかったわけではない。しかし、よくあることでもない。やはり近寄りがたいそのオーラのためか。
それにしたって、この‘岡田くん’とやらは、自分のことをどれだけ理解しているのだろう、と哀は思う。喋ったこともないし、見たこともない。…はずだ。
彼は、パッと見た感じではそこまで嫌な印象は与えなかった。どこにでもいる、いたって普通の中学生だ。
階段をおり、渡り廊下を通り、体育館のほうへ向かう。だんだんと人気が少なくなってきた。
哀は、無意識のうちに彼とは少しだけ距離をあけて歩く。――自分の歩調に合わせて歩いてくれる彼を、優しいとは思わなかった。いま自分にあるのは嫌悪感だけだ。早く終わらせて、教室に戻りたい。
「 この辺でいっか 」
彼は体育館近くで立ち止まり、人の目に付かないように、柱のかげに隠れた。哀もそれに合わせて止まり、彼と向き合うような形で立つ。
「 あの… 」
「 灰原さんってさ、江戸川コナンと付き合ってんの? 」
本日2回目の質問。こういうことは重なるものだ。
「 付き合っていません 」
「 そっか。じゃあやっぱウワサはウワサでしかなかったわけね 」
どこまで広がっているのだろう、そのウワサとやらは。
さすが学校中で有名で、知らないものはいないという江戸川コナンだ。彼が望まなくとも目立ってしまうのは、天性か。
「 あの、先輩… 」
「 じゃあ灰原さん、単刀直入に言うけど、オレと付き合ってほしいんだよね 」
「 ……えっと、 」
「 絶対楽しいと思うよー。江戸川みたいなのと一緒にいるより 」
愛想のよさそうな顔で笑う、初対面の‘岡田くん’。こんな告白ってあるのか。
目の前の彼は、特に緊張した様子もないし、完全にあさっての方を向いている。
自分のことを好きそうな感じでもなさそうだし、適当に断ってしまおうか。
「 ――でも私、あなたのことをよく知らないわけだし……お付き合いはできません。ごめんなさい 」
「 そっか……それじゃ、ダメなんだよね 」
「 え? 」
言いながらすばやく哀のほうに歩み寄る。
急に2人の距離が縮まったかと思うと、哀を壁際に追いやって、腕を拘束させた。手首をつかまれた鈍い痛みに哀は、思わず声が出そうになる。
「 江戸川の弱点って、灰原さんじゃないの? 」
「 ……江戸川くんに個人的な恨みでもあるんですか? 」
「 そーそー。アイツ見てるだけでムカつくよね 」
「 ……残念ながら私、彼の弱点なんかじゃないんです 」
「 まあこの際弱点じゃなくてもいーよ 」
手首をつかむ手に、ぐっと力が加わる。先ほどより目つきが鋭くなったところで、さすがに緊張が走った。
ヤバイ、かもしれない。中学生だと思って甘く見ていたが、普通に考えて男性の力の強さに勝てるはずはないのだ。
「 灰原さんキレイだし、 」
心臓の鼓動がうるさい。
「 置き換えって言うんだっけ? 」
昔と同じ、この感覚。
「 別に誰を傷つけても同じかなーって 」
―― ピーッ ピーッ ピーッ ピーッ ――
「 なに… 」
哀との距離、わずか数センチ以内となったときだった。
少し離れたところではあるが、シーンとした空間に、何かの機械音が鳴り響いたのに反応し、彼の動きが止まる。
「 やりすぎですよ、先輩 」
「 江戸川…… 」
岡田の後ろに平然とした様子で立っていたのは、コナンだった。
「 さすがに怖がってます 」
「 ……お前またヒーロー気取りかよ 」
「 先輩こそ、また女の子いじめですか 」
ニッと笑うコナンを、黙ってにらみ返す。
‘また’ってなんだろう。以前にも同じような状況があったのだろうか。
哀は、解放されてジンジンと痛んだ手首をさすった。
「 次は邪魔すんなよ 」
「 ええ、もっと上手く隠れてくださいね 」
チッ、と舌打ちをして去っていく岡田に、哀は胸をなでおろした。
――と、同時に、コナンのほうをキッと睨む。
「 ……遅い 」
「 ……どっちがだよ……ずっとバッジ握り締めてたくせに。早く鳴らせよ 」
「 なによ……ずっと後を尾けてきたくせに…早く助けなさいよ…… 」
あ、いけない、泣きそう。
こんなことで、昔のことをフラッシュバックしたように思い出してしまうなんて。
平和ボケか。このところ危険な目に遭わないで来たためか。
なんで……
「 守ってくれるって、言ったじゃない 」
こんなこと言うつもりじゃなかったのに。
「 いや、そうだけど……オレ隠れてるわけだし、そっちの状況、そんなに把握できなかったっつーか……だから……バッジ握ってんならもっと早く鳴らせって。なにためらってんだよ 」
「 ちがう……バカ…… 」
「 ――はい? 」
‘鳴らせば来る’、ではなくて、‘鳴らさなければ来ない’ことを確かめたかったなんて、言えない。
全然素直になんか生きられない。どうしてこんなところで意地を張っているのか、自分でも分からなかった。
コナンは泣いている哀を前に、少しため息をついて見せたが、そっと彼女の頬に触れ、優しくそのつたっている涙を拭った。
突然のその温もりに、哀は驚いた様子だったが、黙ってそれを受け入れた。
放っておけばいいのに、しかし彼は、いつでも私に全力で向かってくる。
いつでも優しい彼の態度は、私だけに向けられたものではないと分かっているのだが……
「 ――オレさ、灰原が泣いてるところ見るの、キライなんだ 」
淡々と彼から出てくる言葉は、全て自分の心に響いて、
「 だからなるべく泣かなくていいようにしたいんだけど 」
私はただ、
「 オメーの涙を止めるのは、オレの役目でいい? 」
黙ってコクリと頷くことしかできなかった……
End.
pixiv 2012.10.20
再校正 2014.11.01