Take me Take me

「 外出してきます 」


 暖房がかかっている以外はシンとしていた探偵事務所の室内に、落ち着いたアルトの声が響いた。すっかり日が傾き、外はどことなく物寂しい雰囲気だ。

 先ほど休憩にとコーヒーを淹れていたのはどれくらい前のことだっただろうか。時計の針はすでに17時過ぎを指している。来客用のソファーでくつろいでいた工藤新一は、ゆっくりと声の主のほうを見上げた。

 いつものような仕事用のカジュアルな服装とは一変、シックなライトグレーのワンピースを着た宮野志保は、鏡の前に立ち、映し出された自身の姿を最終確認している。後ろ姿しか見えないが、肩まで伸びた赤茶色の髪は艶があり美しく、華奢な身体は色白で透明感があった。


「 なに? 」

「 ――5度目の食事 」

「 ………ああ、なるほど 」


 もう25歳になるんだっけな、と新一はぼんやりと思う。昔は大人びていると思うことも多かったが、さすがに年齢が外見にも内面にも追いついてきた。――そして相変わらず、そのハーフな顔立ちは、誰もが振り向くほどの美人だ。


「 そろそろゴールインなんじゃねーか? 」

「 さあ、どうかしらね 」

「 ――今日どこ? 」

「 杯戸プリンスホテルのレストラン 」

「 ほら、そうだって 」


 本来ならこういうことには疎いはずなのに、嫌にカンが鋭いようだ。ニッと笑った新一に対し、志保は大げさにため息をついてみせた。

 無造作に引き出しにしまった、しっかりとした黒い箱を手にし、中からネックレスを取り出す。結構な値段がするのだろうな、と他人事のように思った。アクセサリーの類いは、仕事でもプライベートでも日頃はしないものだから、不器用な手つきでそれを着けようとする。と、いつの間に後ろに来たのだろう、新一がそっと首元に触れるものだから、思わずびくりと身を震わせた。


「 これ、もらいもの?――金かかってんな 」

「 ………ありがと 」


 後ろで着けてもらったネックレスを、ジュエルが真ん中に来るように調節する。そして自然な動作で髪の毛をふわりとかき上げたとき、うなじからフレッシュで華やかな香りがした。


「 オレがあげた香水つけてんの? 」

「 ――そう。よく分かったわね 」


 いい香りよね、と口元をゆるめた志保を鏡越しで見ながら、新一は何か言いたげにその肩に顔をうずめた。


「 もし本気だったらどーする? 」

「 え? 」

「 ………だから、向こうが本気で結婚を考えてたらさ、 」


 いつもより真剣な眼差しで見つめてくる新一を、鏡の中でじっと見つめ返した。


「 そしたら宮野、承諾すんの? 」

「 ………… 」

「 ――え、まじ? 」


「 バカね、有り得ないわ。結婚詐欺師が本気で結婚するだなんて 」


*


 今回の仕事は楽ではなかった。20代後半の女性が工藤新一の元に泣きついてきたことが、そもそもの始まりだった。その女性の話によると、結婚の約束までした男性に数百万円もの大金を貸したところ、逃げられてしまったらしい。明らかな結婚詐欺だった。

 身元もはっきりとせず、残された数枚の写真しか、人物の手がかりはなかった。――だがそんな中、よく出入りしていたらしい高級レストランに、再びその男が現れたのはラッキーだった。

 あれやこれやと考え、新一は、志保を男に近づけることにした。調査力に優れ、且つ誰もが見惚れるような美しい女性は、身近には宮野志保しかいなかったのだ。身に危険が及ぶかもしれない。が、意外にも彼女は、すんなりとその仕事を引き受けた。女性を騙す男なんて最低ね、と彼女は吐き捨てた。

 男に近づいてからは、簡単に事は運んだ。何度か食事や映画に誘われ、週に1回のペースで会うようになっていた。しかし相手はやはり結婚詐欺師。これまでに何度も自身の結婚願望について語っている。そして今日が5度目の食事。しかも場所が有名ホテルのレストランときている。

 新一が言うように、今日が王手かもしれない、とは思う。結婚を約束すれば、次はお金の話だ。あちらが切り札を見せて来れば、こちらもそれなりに証拠がつかめる。事件は一気に解決に近づくかもしれない。それはいいのだが……

 新一の言葉が頭の中を駆け巡った。本気で結婚を考えている、か。そんなことはあるはずがないだろう。

 あれは彼なりに自分を試したのだろうか?と思った。もしここで感じのいい男性が現れ、その人に告白なりプロポーズなりされたら、自分はどうするのだろうか、と。

 実際に、詐欺師の男は流石と言ってはなんだが、それなりにルックスのいい自称31歳で、話していても好印象な人だった。これは騙されるだろうなと思った。

 そんな男性と外出する自分を、新一はどう思っているのだろうか。いつも見送るときはあっさりとしていて、帰ってきてからの報告は捜査にかかわる事務的なものばかりで、込み入ったことは何一つ聞いてこない。

 別に嫉妬してほしいだなんて思ってはいないが、単なる仕事だと受け取られても困る。場合によってはキスだってされるかもしれないし、もしかしたらそれ以上のことも――…これまでにはなかったのだが。

 自分が離れていったら、彼は追いかけて来たりするのだろうか。志保には分からなかった。


 先にレストランに入ってて、と言われ、予約されていた席に着いた。ウエイターがグラスに水を注いでいるのを、ぼんやりと見つめる。

 早くこの仕事を終えたい、と初めて思った。最初の頃は割り切っていたし、好きな映画も見られて気分転換のつもりでいた。しかしだんだん、関係を深めていくにつれ煩わしく感じるようになってきた。元々、人付き合いが得意な方ではないのだ。

 彼は彼で、私がフラフラと遊んでいるように見えるのかもしれないな、と思った。だからさほど口出ししてこない。私が他の男性と一緒にいたって、彼にとってはきっと――…

 マイナスな気持ちが渦を巻いた。――いけない、気持ちを切り替えないと。詐欺師に騙され、困っている女性がいるのだ。


「 お待たせ 」


 今ではすっかり聞きなれてしまったその男性の声にハッとし、志保は顔をあげ、笑みを作った。25歳。ただのOL。都内で一人暮らし…。簡単に作った設定を一つずつ思い出し、架空の人物になりきる。――騙し騙されの繰り返し。これは仕事なのだから。


「 何か頼みます?お腹がすいたわ 」

「 その前に、いい?――今日は大事な話があるんだ…… 」


*


 急に仕事の用が入ったから、と言って今晩は無理にお開きにさせた。相手は不審に思わなかっただろうか。おそらくあと2、3度の付き合いなのだろうからどう思われたって構わないのだが。――それに、男のほうもプロポーズが成功して油断しているかもしれない。我ながら泣き真似は、相手が詐欺師とはいえ上手く騙せた、と思う。涙ぐみながら言葉をつまらせ、やっとの思いで「 はい 」とだけ頷いてみせたのは、自分にしては上出来だった。

 レストランを後にし、エレベーターを待つ。少し開けたそのホールの一角はガラス張りになっており、夜景が一望できるようになっている。スカイダイニングと呼ばれるレストランからの景色も素晴らしいものだったが、ここでも改めて窓の外を眺めた。

 こういった場所はなかなか来られるところではない。これが仕事の一環でなければ、最上階レストランでプロポーズだなんて、とてもロマンチックなものであるし、女性なら誰もが憧れるものであろう。…そう、仕事の一環でなければ。――正直、少なからず空虚な気持ちなったのは本当であった。これがリアルなものならば、こうして世の中の女性は幸福を手にしていくのだろうか。自分には想像もつかなかった。

 丁度エレベータが来たところで、ブーッブーッとバイブ音が鳴った。見ると仕事用の携帯で、新一からだった。


「 はい 」

『 ――終わった? 』

「 …ええ、予定通り 」

『 今どこ? 』

「 まだホテルだけど… 」

『 2708室。急ぎで 』


 それだけ告げると、電話はプツッと切れてしまった。降下を続けるエレベーターで、慌てて27階のボタンを押した。


*


 ガチャリとドアを開け、出迎えてくれたのはもちろん新一であった。入って、とだけ言われ、少し遠慮がちに部屋の奥まで進む。一人用にしては大きすぎるベッドが2つ置いてあるのにもかかわらず、広々としてシンプルな部屋だった。


「 何してるの?これも必要経費? 」


 わざと呆れたように彼を見つめた。ベッドに軽く腰掛けた彼は、その問いには答えなかった。


「 ――…それ、 」


 左手薬指に光る指輪をさして、新一は呟いた。志保はああ、と言ったように視線を自身の指に落とした。


「 婚約指輪ですって。マメよね 」


 詐欺師ってみんなこうなのかしら、と志保は呟く。新一は志保を近くに寄せ左手をとると、スッと指輪を外し、まじまじとそれを見た。と思いきや突然、その指輪をカラン、とソファーのローテーブルのほうに投げ捨てた。

 そんな新一を呆然と見下ろしていると、左手を強い力で引かれ、そのまま抱きかかえられるようにベッドに倒れ込む形となってしまった。さらに視界は一転し、目の前には自分に覆いかぶさるように新一の姿が見える。暗くした部屋の照明が陰をつくり、その表情を一層険しく映した。

 一瞬何が起きたのか分からなかったが、すぐに押し倒されたのだと状況を飲み込んだ。驚きで何も言えないままでいる志保をよそに、新一はその細い首に手をかけ、器用にネックレスを外してベッドスタンドに置いた。


「 少しでも嬉しかった? 」

「 ――……そんなの、 」

「 やすやすと奪われてたまるかよ 」


 反論する間もなく新一に唇をふさがれ、頬は熱をもった。お互いの首元からは自身とは別の香りがする。それぞれの香りが混ざり合うと絶妙に調和する、カップルフレグランスだった。

 新一の首に手をまわし、志保はその熱い抱擁を受け入れた。




 End.


pixiv 2013.11.28