昼下がりファンファーレ

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 プルルルル…、と電話の音が辺りに鳴り響いている。

 夢か現実か分からなかった。しつこいコール音が続き徐々に目が覚め、まどろんだ状態で身を起こす。

 ル、とそこで音が途切れた。と同時に宮野志保はハッとした。

 時刻は15時を過ぎたあたり。窓から差す西日が部屋全体を照らし、こもった空気でいっぱいだった。思わずその暑さと、じんわりと滲む寝汗に顔をしかめる。

 確か研究室から帰ってきたのは朝の8時くらい。それから無心でシャワーを浴び、ベッドに辿り着く前にソファーで寝てしまったらしい。



 プルルルル…、と一度は諦めてくれたコール音が再び鳴り響く。電話が起こしてくれなかったら、何時まで寝ていたものか分からなかった。それだけ近頃は疲労がたまっていたのだ。

 どうやら家主である阿笠博士は不在らしい。急いで電話の受話器をとる。


「 はい、阿笠です 」

『 あっ、宮野さん?――僕です、高木です 』


 電話の主は知り合いの刑事だった。声が少し慌てているように聞こえるが、何か事件でもあったのだろうか。

先手を打つように、工藤くんなら、ここにはいませんよ、と告げた。


『 えぇっ?事務所にも自宅にもかけたけど繋がらないし、携帯も出ないんだけど、おかしいなー 』


 チラリとカレンダーに目を向ける。今日は月曜日。時刻は夕方より少し前。

 確か昨日、研究室に行く前に探偵事務所に寄ったときには、‘明日の予定’と書かれたホワイトボードに、午前中に依頼人と会う約束しか明記されていなかった。

 さらに探偵業にも関わらず、携帯電話が繋がらないということをふまえれば――…


「 フットサルですよ。最近熱中してるみたいで 」


 少し前にも同じようなことがあった。全く連絡がとれず心配していたら、ケロッと帰ってきて、事務所近くでコートを借りてフットサルをしているのだ、と話していた。あの日も今日と同じ、月曜の午後だった。

 フットサルは大学生のときに始めたらしい。詳しくは知らないが、なんでも音楽家だとか元Jリーガーだとかが参加する華々しいもので、趣味の延長ではあるが定期的に大会も開催しているようだった。


『 そうか、困ったな… 』


 受話器の向こうでそう呟くと、高木刑事は、実はね…と、事件の概要を声をひそめて話し始めた。

 現場は港区。先月、30代半ばの男性の遺体があった事件現場で、今日、また別の男性の遺体が発見されたという。

 話を聞きながら、そんなこともあったな、と少しずつ思い出す。

 確かその日は、研究室から帰ろうとした途中で呼び出され、急いで現場に向かった。その男性の死因が、薬物によるものだったからだ。

 結局、現場の状況から自殺と断定されたが、再び似たような事件が起きるとは…


「 分かりました、今から向かいます。工藤くんも一緒に 」

『 えっ?工藤くんに連絡がつくのかい? 』

「 居場所に心当たりがあって。現場までの通り道でもあるので、拾っていきますね。遅くとも1時間以内には着くかと 」


 そう言って電話を切ると、手帳を取り出し、以前メモをしたフットサルコートの住所を確認した。思った通り、米花町と事件現場の間に位置しているし、それなりに駅から近いようだ。

 念のため、自分でも彼に連絡をとってみる。――やはり繋がらない。

続いて、コートを提供している施設に電話をかけてみる。が、熱狂的なファンか何かに勘違いされたらしい。工藤新一の名前を出したところ、著名人の方のプライベートな利用に関してはお答えすることができません、と返された。

 逆に言えば、彼らが頻繁に施設を利用している証だとも受け取れる。一か八か、とりあえずコートに向かってみることにしよう。――仮に彼がいなかったとして、自分一人でも現場でやるべきことはあるだろう。急いで着替え、出かける準備をした。


 今や自分で事務所を立ち上げたのだから、こういうときのためにスケジュール管理をする秘書でも助手でも雇いなさいよ、と心の中で悪態をつく。大学院に残り研究をしながら事務所に顔を出し、捜査の手伝いをする今の生活は、正直忙しなかった。

 ――しかし、これが楽しいと感じるのも本当のところ。

 博士に置手紙を残し、しっかりと戸締りを確認すると、外に出た。そして少し早足で、米花駅に向かった。


*


 大きな倉庫のような形をしているその建物は、一見スポーツ施設のように見えなかった。それでも数面のコートと、シャワー室や更衣室、ジムなんかも併設されているらしい。コートは屋内と屋外とがあるようだが、おそらく彼がいるとしたら屋内だろう。少し緊張気味で施設に足を踏み入れた。


 受付に男性が座っている。どうやら先ほど電話したときに応対してくれた人のようだ。探偵事務所の名刺を差し出し事情を説明すると、すぐに理解してくれ、先ほどは失礼いたしました、と謝られる。この場所に居るという推測は外れていなかったようで、ホッと胸をなでおろした。



 男性に案内されたコートへ入るには、会員カードを認証しなくてはならなかった。顔が知れている人にとってはスポーツを楽しむにも一苦労だ、と少々頭が痛くなる。

 自動ドアを抜け、ゆったりとしたカフェテリアの奥に、そのコートはあった。青々とした人工芝のフィールドで、10人余りの人がどうやら練習に励んでいるようだ。掛け声が天井の高い屋内に響き渡り、部外者の自分にとって長居できそうな場所ではなかった。


 その中から彼を探し出し、声をかける。幸いコート外から目の届きやすい位置にいたので、すぐにこちらに気が付き、驚いたように駆け寄ってきた。


「 宮野!――お前、なんでここに? 」

「 事件よ。先月、港区で起きた男性の自殺と関係があるみたい。――すぐ現場に向かえる? 」

「 自殺…?あー…あれか。――…んー、よし。分かった。行くよ 」


 額の汗を半袖のウェアで拭い、水分補修をする。

フットサルを始めたのは体づくりだと話していたが、確かに以前と比べて、全体的に筋肉がついたかもしれない。最近、定期健診した結果の数値がよかったことも、健康な身体を取り戻した証明と言えるだろう。

 と、思ったのも束の間、ヒジに真新しい擦り傷があり、血が滲んでいるのを目ざとく見つけ、つい小言を並べる。


「 あなたね、スポーツもいいけど無茶しないでよね 」

「 分かってるって。大丈夫だから。――あ、悪いけど先にシャワー浴びていいか?このまま人に会うのは気が引ける 」

「 あのねぇ………遅くとも15分で用意してくれる?私、先に行くから。現場はこの間と同じ 」


 無理やり押し付けるように、現場の住所が書かれたメモを渡す。そろそろ周囲の視線が痛くなってきたのを感じていたため、なるべく早くこの場から離れたかった。色とりどりのウェアをまとった男性たちが、思い思いに体を動かしているこのコートで、ラフな仕事着をまとった一人の女性の存在は、どう誤魔化しても浮いている。

 先ほどより明らかに、活気に満ちた掛け声のヴォリュームが下がっているのが、嫌でも気になった。


「 待った、例え15分の差があっても、あの現場なら電車と徒歩で行くより車で行ったほうが早い 」


 車、入り口正面に乗り付けておいて、とキーを渡される。急ぎなさいよ、と念を押し、その場を後にした――…






pixiv 2014.06.14