昼下がりファンファーレ

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 あれから10日ほどが経ち、事務所に立ち寄る機会があった。普段から暇があれば顔を出し、郵便物や伝票の整理を手伝うことがあるのだが、ここ最近は、何かと自分の中で理由をつけて、なんとなく避けて過ごしてきた。

 しかし、特別意識しても仕方がないと思い、気が付けば慣れた動作でセキュリティのしっかりとしたドアを開いていた。

 この事務所に入ることができる人間は限られている。中にいた工藤は驚いた様子もなく、こちらを一瞥した。会うのはあの日以来だ。


 特に言葉を交わすこともなく、来客用のソファに腰を下ろす。ローテーブルに無造作に置かれた、ここ1週間の出張先での依頼の資料をパラパラとめくった。


「 あの日、ちゃんと送ってもらえた? 」

「 ええ、まあ… 」


 視線を送ることなく、曖昧な返事をする。資料に意識があるフリをしながら、内容は全く頭に入っていなかった。


「 そっか、…ならいいんだけど 」

「 ――ねえ、何かたくらんでる? 」

「 …たくらんでるって? 」

「 …別に…なんでもないわ 」


 足を組み直し、テイクアウトした大型チェーンのカフェのコーヒーを口に含む。香りがほとんどなく、自分で淹れたほうが美味しい気がした。

 少しだけ不思議そうな顔をした工藤が、そういえばさ、と話を続ける。


「 来月、フットサルで大会あって。暇だったら宮野――… 」

「 行かないわよ 」


 思わず言葉をさえぎり、ムキになって返した。その反応に、工藤も遠慮なく顔をしかめる。


「 はあ?別にオレのこと見ろって言ってるわけじゃねーよ。比護さんが… 」

「 だから行かないって言ってるの 」


 その名前に過剰に反応してしまう。自分が恥ずかしかった。

 あれからテレビで見たって雑誌で見たってウェブサイトのニュースで見たって、変に意識している自分がいる。

 遠い人なんだって思う。深入りしたら傷つくんだって思う。――しかし、気になる存在だっていうことは正直なところで。

 なんで。いい夢見られたって忘れたい。でも、事実なんだって記憶にとどめたい。

 なんで。貪欲な感情が渦を巻き、自分を苦しめた。


「 宮野……たくらんでるってそういうこと? 」

「 ……… 」

「 自分を陥れるワナだとかって思ってる?――そんな人じゃないけど 」

「 ……分かってる…… 」


 だからこそ。もっと近づきたいって思うのに、近付けば近付くほど、離れて行ってしまう気がする。

 これ以上、大切な存在を作りたくない。これ以上、大切な存在を失いたくないから。


「 不器用 」

「 …どーせね… 」

「 素直じゃない 」

「 知ってるでしょ? 」


 この世の終わりかと思うような暗い表情をする。その憂いを含んだ横顔は、しかし誰よりも綺麗だった。

 ――ああなんで。こんなにも人を惹き付ける強いものを持っているのに。心は誰よりも儚くもろい。


「 いいじゃねーか。そんな深く考えることもない。別に何があるってわけじゃないんだ 」

「 だから…… 」

「 暇があれば来れば?って言ってるだけ。気分転換っていうか、研究室ばっかこもってたら体に悪いぞ? 」

「 …暇じゃない… 」

「 暇だろ?――いや、暇くらい自分で作れるだろ?…オレ、絶対その日、迎えに行くから 」

「 は? 」

「 決めた、お前のこと拾って行く。15日10時。忘れんなよ 」


 そうやって言い切って、こちらの有無も聞かずパソコン作業に戻る。勝手だ強引だと思うが、時にそれが、ありがたく感じることがある。

 バカじゃないのと思ったが、何も言わなかった。別に嫌じゃなかった。


*


 服装に困っているとはこういうときのことを言うと思う。

 何度も鏡とクローゼットを行き来する。あれじゃないこれじゃないと選びながら、一体誰に評価されたいのだろうと自嘲気味に笑う。

 結局、すっきりとしたカジュアルなパンツスタイルを選んだ。あくまでスポーツ観戦だからだ。



「 あ、準備できた? 」


 栄養たっぷりの朝食を、自宅ではなく隣のこの家で平然と食べているあたり、それが目的だったのではないかと疑ってしまう。工藤は、いつになく顔色が良かった。



「 今日は調子がいい気がする 」


 車の中で、彼は自信たっぷりにそうつぶやいた。そういえば、スポーツをする工藤を見るのは初めてな気もする。江戸川コナンだったときは、体育の時間でいつも注目の的だったが。それでもそのときは、おそらく半分の力も出していないようだった。


 大会が行われるグランドに着いた。グランドとは言っても屋内で広々としており、普段は大きなイベントやライブなんかも行われる場所だ。

 ――やはり場違いなのではないだろうか。そう思ったのも束の間、会場にはチームメンバーの家族や友人も観に来ており、女性1人でも意外と自然に溶け込めた。

 観客用に設けられた座席に、適当に腰かける。すると、不意に後ろから声をかけられた。


「 志保ちゃん 」


 比護隆佑だった。はい、と、選手と観客に配られているパンフレットと飲み物を渡す。ありがとう、と受け取ったが、目はきちんと合わせられなかった。

 観客の1人であろうにも関わらず、なぜか日本代表のユニフォームを身にまとっている。どうして?と聞くと、パフォーマー要員だからねと言って笑った。

 しかし、よくもまあ取材陣も入れず、趣味の延長でここまでやるもんだ、と思う。華やかな世界だった。


 試合はトーナメント方式で複数回行われた。初めて見るその迫力に感動したというのが正直なところ。

 その間、比護はずっと隣で一緒に観ていてくれた。今のプレーはどういう意味?と聞くと、丁寧に教えてくれる。自分が黙って試合経過を見守っているときは、黙っていてくれる。とても居心地が良かった。


 コートをはさみ、その向かい側では、工藤が試合に向けて準備を始めていた。そんな工藤に、比護と一緒に来ていた真田貴大が話しかける。


「 先輩と一緒にいるあの女の人、こないだ工藤のこと迎えに来てたっていうべっぴんさん?あれ誰なん? 」

「 真田さん…――彼女は宮野っていって…オレの仕事仲間です 」

「 へー。比護さんとめっちゃ仲良うしてるやん 」

「 ……そうですね、もっと時間かかるかと思ったんですけど 」

「 え? 」

「 あ、いえ…こっちの話です 」


 確かに、少し距離が離れているものの、こちらからでも2人が楽しそうに談笑しているのが見て取れる。しかも、その様子がものすごく絵になっており、会場にいる他の観客や、選手からも注目を集めている。――もっとも、当の2人は全く気が付いていないようだが。


 そのとき、会場のアナウンスが流れ、ゲスト選手紹介で比護と真田の名前が呼ばれた。このあとワンプレーを披露するということで、会場に一際大きな歓声が上がる。

 と、真田がいきなり、あー!!と大きな声を出すものだから、思わず体をビクリとさせてしまう。


「 ちょ、見た?今の!めっちゃ自然に、あのべっぴんさんに自分が持ってるタオルかけたで!うわやらしー! 」

「 2人に聞こえますよ!――っていうか真田さん、呼ばれてます! 」


 ワンプレー披露。選ばれしフットサルチームの5人のプレーヤーからボールを奪い、シュートを打つまでを魅せてくれる、という名目だった。

 比護はその中でも最初に披露する選手で、このあとの盛り上がりがかかっていた。

 そんなプレッシャーをものともせず、ピッチ上に立った彼は、すでに選手の顔をしていた。


 ピーッというホイッスルが鳴り、ボールが蹴られる。初めこそ様子を見る形で、相手チームの動き、ボールの動きを目で追っていた。が、一瞬のスキでチャンスを捉えボールを奪うと、そこからシュートまで運ぶ動きは早かった。

 息をつく間もないほど素早く華麗なドリブルで相手をかわし、ゴール前で放った鋭いシュートは見事ネットを揺らした。同時に大きな歓声が沸きあがる。それに、笑顔で応えてみせる。さすがはエースストライカーだった。


 さらなるプレッシャーを感じているのは、次に控えている真田だった。だから順番変えましょって言うたのに…と愚痴をこぼしたのを、工藤に励まされる。

 ピッチから出た比護は、真田と工藤と少しだけ言葉を交わすと、そのまま真っ直ぐ先ほどまでいた座席に向かった。そんな背中を、2人ともが何も言わず見送った。



「 ちゃんと見てくれた? 」


 タオルを受け取り、目の前で見ていただろう彼女の隣に座った。


「 ええ。――とってもカッコよかったです 」

「 ……――え? 」


 あまりにも素直に感想を伝えられ、嬉しさと戸惑いが入り混じったような表情で、思わず聞き返す。


「 …――もう一度言ってくれる? 」

「 嫌です。一度だけ 」

「 なんだよ、それ… 」


 じゃあ絶対決めるからね、と念を押されて、宣言通りキレイなシュートを決めて。…真っ先に自分の元に帰ってきて。

 そんなの反則だって思ったから、少しだけからかってみせた。

 

 ずっと憧れていた人の、隣にいられる特別な時間。こんな幸せな時間が、これからも続けばいいのに。

 素直にそう願って、彼の膝元からこちらに垂れかけていたタオルを、気付かれないようにギュッとつかんだ。




End.


pixiv 2014.06.20